明治初めの中見世


明治初めの仲見世「中見世」


明治初めの仲見世を写した手札判写真 (Carte de Visite)

明治18年(1885)に煉瓦化される以前の「中見世」。正面に仁王門(宝蔵門)。当時の浅草寺参道沿には、こうした露店(床見世)がひしめくように軒を連ねていました。

"雷門から仁王門までの、今日の仲店(なかみせ)の通りは、その頃は極(ごく)粗末な床店(とこみせ)でした。屋根が揚げ卸しの出来るようになっており、縁と、脚がくるりになって揚げ縁になっていたもので、平日は、六ツ(午後六時)を打つと、観音堂を閉扉(へいひ)するから商人は店を畳んで帰ってしまう。後(あと)はひっそりと淋しい位のものでした。両側は玩具屋(おもちゃや)が七分通り(浅草人形といって、土でひねって彩色したもの、これは名物であった)、絵草紙、小間物(こまもの)、はじけ豆、紅梅焼、雷おこし(これは雷門下にあった)など、仁王門下には五家宝(ごかぼう)という菓子、雷門前の大道には「飛んだりはねたり」のおもちゃを売っていた。蛇(じゃ)の目(め)の傘(がさ)がはねて、助六(すけろく)が出るなど、江戸気分なもの、その頃のおもちゃにはなかなか暢気(のんき)なところがありました。" 「幕末維新懐古談高村光雲

マッカルパイン・コレクションより


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Date: 2007/9/08 10:00:00 | Post: mikio


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