新橋芸妓 津の国屋吾妻 / Azuma of Shinbashi
得票数は2,054票で四等。吾妻については、投票締め切り日の8月13日にこんなエピソードが残っています。
"凌雲閣の百妓真影の品評は、一昨十三日最終の〆切当日なりし為め、早朝より来たりて登閣するもの頗(すこぶ)る多く、就中(とりわけ)当日午後一時頃、炎天とも意とする色無く、鼠色の洋服に巻煙草をくゆらせながら、意気揚々と入来(いりきた)りし三十前後とも覚(おぼ)しき華族の家扶(かふ)然たる一紳士あり、同行者も無く唯一人のみにて、選美投票用紙を五十葉購(あがな)い、其儘(そのまま)佇みながら五十葉とも悉(ことごと)く新橋のあづまというに投入して直ぐに同閣を降(くだ)り行きしと。" 読売新聞
津の国屋吾妻は、本名を中岡いせ(せいと書かれている文献もあります。)といい、明治6年(1873)2月の生まれということになっています。座敷に出始めた頃は猿若町の櫓下(やぐらした)の置屋にいて、玉助(たますけ)と名乗っていました。その頃はとても活発な見習い芸妓だったようで、「お酌(見習いの意/雛妓)中のおきゃん」などと呼ばれていましたが、歌舞伎俳優の市川好太郎と浮き名を流した頃から芸道に励むようになり、柳橋を経て、新橋へと移る頃には、芸妓として一本立ちできるようになったといいます。また、百美人に出た頃は落籍間近だったようです。
小川一眞による撮影。コロタイプ写真帳 "Types of Japan: Celebrated Geysha of Tokyo" より
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Date: 2007/10/14 10:30:04 | Post: mikio
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