166 ASAKUSA PARK / 撮影者不詳
開場からまだ日の浅い凌雲閣を写した鶏卵紙大判写真。明治20年代でしょうか、江川一座の常打ちとなる公園六区北端の「大盛館」はまだ建っていないようです。阿久根巌著「元祖玉乗曲芸大一座」によると、大盛館の記事が新聞に登場し始めるのは明治26年(1893)頃のことです。周辺に大きな建物がないので、その高さが一際目立っています。
もうひとつの図版は塔部分を拡大したものです。100年以上前の写真ですが、その解像度には目を見張るものがあります。閣頂の避雷針に、引き札の絵にあるような風見の装飾が施されているのが確認できます。11階の出入口の右側にはアーク灯が見えます。展望台には人影がいくつかあり、12階には西洋式の欄干に手を掛けて景色を眺めているような子供の影が見えます。また入口前ではたくさんの人が列を作っているようです。
この凌雲閣の高さは、当時の石版画や新聞などで、220尺(66.7m)と公表されていました。しかしながら明治44年(1911)の市街地建築法施工の際の実測データを掲載した「震災予防調査会報告」第97号甲によると、その総高は172尺4寸(52.2m)という結果になっています。この数値は、各階の高さと屋根の高さを加えたものですが、この各々の高さがまとめられている「凌雲閣壁圧表」の「高サ」の項には「床ト天井間ノ距離」という記載があります。また喜多川周之「浅草十二階の建設契機(二)」(浅草寺文化 第4号)によれば、この172尺4寸には閣頂の避雷針12尺が含まれていないということです。
日本建築学会正員の堀口甚吉氏は、論文「浅草12階凌雲閣の建築について」の中で、この高さについての解明を試みています。論文によると、明治44年の調査は各階床から天井までの距離を測ったもので、天井のふところの値(10〜15尺)を計測しておらず、加えて地面から1階床面までの階段の高さ(2尺)、避雷針の高さ(12尺)も含まれていないことから、当時公表された220尺という高さは、これに地下へ掘り下げた基礎部分の高さ(約20尺)を加えて出した総高(221尺4寸)であろうということです。これに準ずるならば、実際の地表からのその高さは、高い方を採っても避雷針を入れて202尺(61.2m)、屋根までであれば190尺(57.6m)ほどということになります。
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Date: 2007/9/30 22:00:04 | Post: mikio
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